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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)145号 判決 1980年1月21日

控訴人(反訴原告) 竹下安一郎

被控訴人(反訴被告) 竹下正男 外一名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人(反訴被告)らの請求をいずれも棄却する。

被控訴人(反訴被告)竹下正男は、控訴人(反訴原告)に対し原判決添付別紙物件目録(一)記載の土地について静岡地方法務局昭和四八年一二月二五日受付第六六九〇〇号所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

被控訴人(反訴被告)竹下総治は、控訴人(反訴原告)に対し原判決添付別紙物件目録(一)記載の土地について昭和二六年三月一七日付け贈与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は、第一、二審とも本訴反訴を通じて被控訴人(反訴被告)らの負担とする。

事実

一  控訴人(反訴原告。以下「控訴人」という。)は、「原判決を取り消す。被控訴人(反訴被告)らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(反訴被告)らの負担とする。」との判決を求め、当審において反訴を提起し、「被控訴人(反訴被告)竹下正男(以下「被控訴人正男」という。)は、控訴人に対し原判決添付別紙物件目録(一)記載の土地について静岡地方法務局昭和四八年一二月二五日受付第六六九〇〇号所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。被控訴人(反訴被告)竹下総治(以下「被控訴人総治」という。)は、控訴人に対し原判決添付別紙物件目録(一)記載の土地について昭和二六年三月一七日付け贈与を原因として所有権移転登記手続をせよ。反訴の訴訟費用は被控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

被控訴人らは、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求め、反訴に対し、「控訴人の反訴請求を棄却する。反訴の訴訟費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決二枚目裏二行目、三行目及び四行目並びに同五枚目表七行目に「付」とあるのをそれぞれ削り、同三枚目裏二行目に「昭和一四年」とあるのを「昭和二五年秋」と改め、同七行目の「原告正男」の次に「の代理人である同人の妻琴」を加え、同六枚目表二行目及び五行目に「五月一〇日」とあるのをそれぞれ「三月一七日」と改め、同七枚目表九行目の「村田英次」の次に「及び同岩崎六三朗」を加える。

(控訴人の本訴における主張)

1  原判決添付別紙物件目録(一)、(四)及び(五)記載の土地(以下「(一)の土地、(四)の土地、(五)の土地」という。)は、次に述べるとおり、昭和二六年三月一七日控訴人が被控訴人総治から贈与を受けたものである。

(一) 被控訴人総治は、昭和二一年妻志もに先立たれた後も再婚せずに控訴人夫婦と同居していたが、昭和二五年秋頃、先妻志もの存命中から親密であつた旅館の女中をしていた館林はつを後妻としたいとの意向を示すに至つた。この話を聞いた控訴人ら家族、親戚等は、極力被控訴人を説得して思いとどまらせようとしたが、被控訴人総治は、分家独立してでも右館林と再婚するといつて説得を受け入れなかつた。結局、被控訴人総治は、館林はつと再婚するか、竹下家を承継するかを迫られ、再婚して別居独立し、長男の控訴人に竹下家を承継させる道を選んだ。そして、本家の土地、家屋、主要な農地は控訴人が承継し、残余を被控訴人総治と被控訴人正男(同人は昭和二二年寺尾琴と結婚し、独立していた。)とが分けることとなつたのである。

(二) 昭和二六年三月一七日、被控訴人総治は、当時仮住まいをしていた被控訴人正男方から、土地の登記済権利証、実印を持参して控訴人方を訪ねた。そして、控訴人と被控訴人総治は、右権利証に基づき土地の地番、地目、地積等を罫紙に書き留めた上、前記の合意に従い、各土地毎に、控訴人に贈与するか、被控訴人総治に残すか、さらに被控訴人正男に贈与するかを決定した。右合意により被控訴人らの所有とされた土地合計七筆は削除されて訂正印が押捺され、被控訴人総治が右罫紙に署名押印して、「契約書」と題する書面(乙第一号証)が作成され、控訴人が贈与を受ける土地が明確にされるに至つたのである。

(三) 右契約証(乙第一号証)の作成後一か月余経過した同年五月二日、被控訴人総治は、覚書(乙第三号証)を持参して控訴人方を訪ね、右契約書作成の際控訴人名義とすることに合意した土地のうち五筆の土地を被控訴人総治の名義のまま留保してほしいと要求した。その結果、三筆の土地と二筆の土地の一部とを被控訴人総治名義に留保することに合意し、右契約書の記載中右五筆の土地の記載を抹消したが、被控訴人総治が実印を所持していなかつたので訂正印は押捺されなかつた。こうして前記贈与契約は、一部修正され、再確認されたのである。

(四) 本件贈与契約の履行については、引渡は前記合意の成立した日に被控訴人総治から控訴人に対してなされ、登記は農地法上の手続を要しないものについては同年五月七日に、右手続を要するものについては同年一一月一五日になされた。

(五) (一)の土地、(四)の土地及び(五)の土地は、右のとおり被控訴人総治から控訴人に贈与された土地に含まれるものである。(一)の土地は、前記契約書(乙第一号証)中に表示されていないが、これは右契約書が作成された昭和二六年三月当時(一)の土地について保存登記がなされておらず、権利証に記載されていなかつたためであり、被控訴人総治、控訴人ともに(一)の土地が隣地の静岡市用宗五丁目一五一一番宅地五〇五平方メートルの一部と信じて贈与の合意をしたものである。

2  仮に(一)の土地が被控訴人総治から控訴人に贈与されなかつたとしても、控訴人は、右土地が前記のとおり昭和二六年三月一七日贈与を受けた静岡市用宗五丁目一五一一番の土地の一部と信じ、しかも(一)の土地上の建物の贈与を受けて、右同日から同土地の占有を開始したものである。したがつて、控訴人は、自己の所有地と信じるにつき無過失で(一)の土地の占有を始めたものであるから、一〇年を経過した昭和三六年三月一七日時効により同土地の所有権を取得したものである。

3  原判決添付別紙物件目録(二)記載の土地(以下「(二)の土地」という。)は、次に述べるとおり、控訴人が被控訴人総治から昭和二五年秋頃賃借し、その後被控訴人正男が賃貸人の地位を承継したものである。

(一) 被控訴人総治は、昭和二五年秋頃前記の事情により館林はつと生活するため控訴人と別居し、被控訴人正男方に身を寄せた。控訴人正男方は、建物は被控訴人総治の所有であつたが、敷地は訴外森銀蔵の所有であり、同人から賃借しているものであつた。そこで被控訴人総治は、右別居独立の際に、控訴人に対し、右被控訴人正男方の借地の地代を森銀蔵に支払つてほしい、その代わり(二)の土地を含む桃畑は従前通り耕作してよいと申し入れ、控訴人もこれを承諾し、以来控訴人が被控訴人正男方の宅地の地代を支払うことになつた。

(二) その後、昭和二六年三月一七日前記のとおり被控訴人総治から控訴人に対し土地が贈与された際、右桃畑も贈与する旨合意されたが、同年五月二日前記のとおり右贈与契約の内容が変更された際、(二)の土地は、被控訴人名義に残すこととし、当初の約束どおり控訴人に小作させ、小作料は森銀蔵への前記地代をもつてあてる旨の合意が成立した。そして、控訴人は、昭和二六年から昭和四六年まで森銀蔵に対し右地代を支払つてきた。

(三) 被控訴人正男は、昭和二六年一一月一五日被控訴人総治から(二)の土地につき贈与を原因とする所有権移転登記を受けたが、右登記の前後を通じて控訴人に対し(二)の土地の賃貸借契約の解約申入れその他の返還請求をしたことはなかつた。そして、被控訴人正男は、控訴人が被控訴人正男方の地代を森銀蔵へ支払うのを当然のこととして何ら異議を述べなかつたのであるから、(二)の土地についての賃貸人の地位を承継したものというべきである。

4  仮に(三)の土地の売買につき被控訴人の妻琴に代理権がなかつたとしても、次に述べるとおり、表見代理が成立する。

(一) 昭和二八年頃、被控訴人正男は、病気等で働けず、生活も困窮し、親戚知人から借財したり、家具、衣類、桃畑を売却し、又は質入れをしたりして療養費生活費にあてていた。被控訴人正男は、右の金銭の借入、財産の売却、質入れ等については妻琴を代理人とし、同女に代金の交渉、受領等をまかせていた。右琴は、金銭の借受、財産の売却のため、控訴人方を何度も訪れており、また、知人にも金銭の融通、財産の売却を頼んでいた。

(二) 控訴人は、(三)の土地の売買の際も、被控訴人正男が従前の琴のした金銭の借受や財産の売却について取消等を求めてきたことがなかつたこと、琴が従前から代理人として行動していたこと、(三)の土地が面積一八坪程度の荒れたみかん山という価値の小さい不動産であること、控訴人が確かめた際、琴が被控訴人正男から委任を受けている旨答えたことなどから、琴が代理人であると信じて右土地の売買契約を締結したのである。

したがつて、被控訴人正男は、民法一一〇条、一一二条等の規定に基づき、琴のした売買契約につき責めを負うべきである。

5  仮に右表見代理が成立しないとしても、被控訴人正男は、(三)の土地の売買契約を追認したものである。すなわち、被控訴人正男は、妻琴の死後である昭和三〇年八月八日入院代金、生活費を調達するため、控訴人に対し二筆の土地を買つてほしいと申し入れてきたが、その際控訴人が(三)の土地の売買について了解しているか確かめたところ、被控訴人正男は、右売買を熟知しており、かつ、これを承認したのである。

(被控訴人らの答弁).

1  控訴人の本訴における主張1の(一)ないし(六)の事実中、被控訴人総治が館林はつと同居した(入籍はしていない。)ことは認め、その余はすべて否認する。

2  同2は、否認する。

3  同3の(一)ないし(三)については、(一)の事実のうち被控訴人総治が被控訴人正男方に身を寄せたこと、被控訴人正男方の建物が被控訴人総治の所有であり、その敷地が森銀蔵の所有であることは認めるが、その余はすべて否認する。

4  同4の(一)及び(二)は、すべて否認する。被控訴人正男は、昭和二八年一二月頃は小柳造船に勤務し、元気に働いていたものであり、病気療養したのは昭和三〇年六月頃から昭和三一年一一月頃までのことである。

5  同5は、否認する。

(控訴人の反訴における主張)

1  控訴人は、本訴において主張するとおり、昭和二六年三月一七日被控訴人総治から(一)の土地の贈与を受けた。

2  しかるに、被控訴人総治は、昭和四四年頃右土地につき保存登記がなされておらず、控訴人への移転登記も終わつていないことをたまたま知り、静岡地方法務局昭和四四年二月二六日受付第七二四九号をもつて自己名義の所有権保存登記を了した。

3  さらに、被控訴人正男は、右土地につき右法務局昭和四八年一二月二五日受付第六六九〇〇号をもつて同月一〇日付け贈与を原因とする所有権移転登記をなした。

4  仮に被控訴人正男が被控訴人総治から(一)の土地の贈与を受けたとしても、本訴において主張するとおり、被控訴人正男はいわゆる背信的悪意の第三者というべきであるから、控訴人は、登記なくして被控訴人正男に対抗できるものである。すなわち、被控訴人総治と被控訴人正男は、被控訴人総治が昭和四六年三月一六日控訴人に対して提起した明渡請求訴訟(静岡地方裁判所昭和四六年(ワ)第九一号)を有利に進めるため、控訴人に登記がないのを奇貨として前項記載の所有権移転登記をしたものである。

(被控訴人らの答弁)

1  控訴人の反訴における主張1は、否認する。

2  同2については、被控訴人総治が控訴人主張の保存登記をなしたことは認め、その余は否認する。(一)の土地につき保存登記はなされていたが、戦災で登記所が焼失し、その回復手続の際記載もれとなつたものである。

3  同3は、認める。

被控訴人正男は、本訴において主張するとおり、(一)の土地を被控訴人総治から贈与されたものである。

4  同4は、否認する。

(証拠関係)<省略>

理由

一  (一)ないし(五)の土地が被控訴人総治の所有であつたこと、控訴人が右土地を占有していることは、当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第八ないし第一〇号証、原審における被控訴人正男本人尋問の結果(第二回)により成立の認められる甲第一三号証(官署作成部分の成立については当事者間に争いがない。)原審における被控訴人総治、原審(第一、二回)及び当審における被控訴人正男の各本人尋問の結果によると、(一)ないし(三)の土地が、被控訴人正男の主張するとおり、被控訴人総治から被控訴人正男に対して贈与されたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

二  控訴人は、(一)の土地、(四)の土地及び(五)の土地を被控訴人総治から贈与された旨主張するので、この点につき判断する。

前掲甲第八号証、成立に争いのない甲第一一、第一二、第一五号証、原審における鑑定人岩崎六三朗の鑑定の結果、当審における被控訴人総治本人尋問の結果並びに原審(第一、二回)及び当審(第一回)における控訴人本人尋問の結果により成立の認められる乙第一号証(被控訴人総治の最初の署名の成立は当事者間に争いがない。)当審証人竹下輝子の証言、原審及び当審における被控訴人総治本人尋問の結果並びに原審(第一、二回)及び当審(第一回)における控訴人本人尋問の結果により成立の認められる乙第三号証、原審における控訴人本人尋問の結果(第二回)及び当審における被控訴人総治本人尋問の結果により被控訴人総治作成部分の成立が認められる乙第七号証(官署作成部分の成立は争いがない。)被控訴人総治作成部分につき名下の印影が被控訴人総治の印章によるものであることが争いがないことと当審における控訴人本人尋問の結果(第二回)とにより成立が認められ、その余の部分の成立に争いのない乙第二四号証、原審及び当審証人竹下輝子の証言、原審(第一、二回)及び当審(第一、二回)における控訴人本人尋問の結果、原審及び当審における被控訴人総治本人尋問の結果(一部)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

1  被控訴人総治は、昭和二一年妻志もに先立たれ、その後も控訴人と同居していたが、昭和二五年頃に至り、妻志もの生存中から交際のあつた館林はつを後妻にしたいとの意向を表明した。これに対し、長男の控訴人を初め親戚の者などは、二男の被控訴人正男を除き、強くこれに反対し、説得して思いとどまらせようとした。しかし、被控訴人総治の再婚の意思は固く、周囲の者も最後は説得を諦め、結局、被控訴人総治は、館林はつを後妻にむかえるかわりに、控訴人と別居していわゆる隠居をすることで関係者の間で話合がまとまつた。こうして被控訴人総治は、昭和二五年秋頃控訴人と別居して被控訴人正男方に移り、竹下家は長男の控訴人が承継し、竹下家の財産の大部分は被控訴人総治から控訴人に贈与されることになつた。

2  昭和二六年三月一七日、被控訴人総治は、右贈与の内容を具体化し、これを書面に作成するため、竹下家の財産である土地の権利証及び実印を持参して控訴人宅を訪れた。そして、まず右権利証に基づき控訴人がすべての土地の所在、地番、反別を罫紙に書き込み、次いで前記合意に基づき控訴人に贈与される土地の記載を残し、総治のために保留することとなつたその余の土地の記載を抹消した上、右記載の土地を控訴人に売り渡す旨記載し、被控訴人が署名して持参した実印を押捺し、「契約書」と題する書面(乙第一号証)が作成された。右書面は控訴人に交付され、前記贈与の合意は、その内容が具体化されるに至つた。

3  その後、同年五月二日被控訴人総治は、「覚書」と題する書面(乙第三号証)を持参して控訴人方を訪ね、控訴人に対し、隠居するに足りないからという理由で、前記契約書(乙第一号証)により贈与することとした土地の一部につき贈与を撤回したい旨申し入れた。控訴人は、これに応じ、右契約書(乙第一号証)の土地の表示から数筆の土地の記載を抹消した。

4  こうして被控訴人総治から控訴人に対し竹下家の財産を贈与する旨の合意は、その内容が確定し、宅地、原野、山林等の農地関係の法令上の手続を要しない土地については同年五月七日に同年四月一〇日売買を原因として、右法令上の手続を要する土地については同年一一月一五日に同年六月一五日贈与を原因として、それぞれ控訴人に対する所有権移転登記がなされた。

5  (四)の土地及び(五)の土地は、前記契約書(乙第一号証)に贈与の対象として表示されていたが、(一)の土地は、右書面には記載されなかつた。これは、右契約書は前記のとおり被控訴人総治の持参した土地の権利証に基づいて作成されたのであるが、右作成当時(一)の土地については登記がなされておらず、権利証が存在しなかつたためであつた。すなわち、静岡地方法務局は戦災にあつて書類が焼失し、その後滅失回復登記がなされたが、(一)の土地については右の登記がなされないでいたが、(一)の土地は控訴人が承継することとなつた竹下家の家屋敷の一部がかかつているものであり、被控訴人総治も控訴人も(一)の土地が贈与の対象となつた隣地の右家屋敷の土地(静岡市用宗五丁目一五一一番)の表示に含まれているものと考えて、前記契約書を作成したもので、(一)の土地を贈与の対象から除外する意思はなかつた。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する原審における鑑定人村田英次の鑑定の結果、成立に争いのない乙第二四号証(竹下正男の証人調書)の記載部分、原審(第一、二回)及び当審における被控訴人正男本人の供述部分、原審及び当審における被控訴人総治本人の供述部分は、前掲各証拠に照らし措信できない。また、成立に争いのない甲第二〇、第二一号証、当審における被控訴人正男本人尋問の結果によれば、被控訴人総治の父竹下安次郎が大正一一年六月に作成した土地謄本には竹下家の財産である土地が記載されているが、右土地謄本は被控訴人総治が所持していること、右土地謄本及びこれと同時に作成された土地区分図には(一)の土地が表示されていることが認められるが、右事実も前認定を覆すに足りるものではないというべきである。そして、他に前認定を覆すに足りる証拠はない。

右によれば、控訴人は、(一)の土地、(四)の土地及び(五)の土地を昭和二六年三月一七日被控訴人総治から贈与されたものというべきである。

ところで、(一)の土地については、前認定のとおり昭和四八年一二月一〇日被控訴人正男が被控訴人総治から贈与を受けており、その旨の所有権移転登記が同月二五日経由されていることは当事者間に争いがない。そこで、被控訴人正男が背信的悪意者である旨の控訴人の主張につき判断するに、前掲甲第八号証、当審における被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人総治は(一)の土地につき昭和四三年頃登記がないことに気付き、昭和四四年二月二六日所有権保存登記をなしたことが認められ、同被控訴人が昭和四六年三月一六日控訴人に対し所有権に基づき(一)の土地の明渡しを求める訴訟を提起したこと、同日被控訴人正男も右訴訟と同一の訴訟代理人に委任して、(二)の土地及び(三)の土地につき控訴人に対し所有権に基づき移転登記の抹消登記手続及び明渡しを求める訴訟を提起したこと、控訴人は右いずれの訴訟においても右土地の所有権を主張して争つていたことは、本件記録上明らかである。

右事実及び前認定の事実によれば、他に特段の事情が認められない限り、被控訴人正男は、(一)の土地が控訴人に贈与されたことを知りながら、控訴人に対する移転登記がなされていないのを奇貨として、控訴人が右土地の所有権を主張するのを妨げるため右土地の贈与を受けてその旨の移転登記を受けたものと推認するのが相当である。そして、右特段の事情は、本件全証拠によるも認めることはできない。してみると、被控訴人正男は、いわゆる背信的悪意の第三者に該当し、控訴人は、登記なくして(一)の土地の所有権をもつて被控訴人正男に対抗しうるものというべきである。

右によれば、被控訴人正男の控訴人に対する(一)の土地の明渡しを求める請求並びに被控訴人総治の控訴人に対する(四)の土地及び(五)の土地についての所有権移転登記抹消登記手続請求は、いずれも理由がなく、控訴人の(一)の土地についての、被控訴人正男に対する所有権移転登記抹消登記手続並びに被控訴人総治に対する所有権移転登記手続を求める反訴請求は、いずれも理由があることになる。

三  次に、控訴人は(二)の土地につき賃借権を有する旨主張するので、判断するに、成立に争いのない甲第三号証の二、第九、第一四号証、前掲乙第一第三号証、成立に争いのない乙第一九号証、第二〇号証の一、二、原審証人森いその証言(第一回)と原審における被控訴人正男本人尋問の結果(第一回)により成立の認められる甲第一号証、第三号証の一、原審証人海野一男の証言により成立の認められる乙第八号証、当審における控訴人本人尋問の結果(第二回)により成立の認められる乙第二一号証の一、二、原審証人海野一男、同森いそ(第一、二回。ただし、第二回は一部。)当審証人竹下輝子の各証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果(いずれも第一、二回)、原審における被控訴人正男本人尋問の結果(第一、二回。いずれも一部。)を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

1  控訴人が、前認定のとおり、昭和二六年三月一七日被控訴人総治から竹下家の財産である土地の贈与を受けた際、(二)の土地を含む分筆前の旧静岡市用宗字石田一五一八番の一畑五畝一六歩は、右贈与の対象とされたが、その後同年五月二日、被控訴人総治が、前認定のとおり、右贈与の内容の修正を申し出た際、右土地のうち三畝一四歩は贈与せずに被控訴人総治の所有に残し、残りの二畝二歩を控訴人に贈与することになつた。そして、右三畝一四歩については、被控訴人総治が控訴人に対し賃貸することとし、その賃料は、当時被控訴人総治が同居していた被控訴人正男方の家屋の敷地を森銀蔵から賃借していた関係から、右森銀蔵に対する地代を控訴人が代わつて支払う方法によつて支払う旨の合意が成立した。

2  その後被控訴人総治は、同年一一月一五日右一五一八番の一の土地を同番の一((二)の土地)と同番の三とに分筆し、同番の一の土地((二)の土地)につき同日被控訴人正男に対し贈与を原因として移転登記を経由した。被控訴人正男は、右登記を経由した後も、控訴人が(二)の土地に桃の木を生育するなどして同土地を占有し、使用していることを知りながらこれに対し特段の異議を述べることもなく、返還を請求することもなかつた。

3  他方、控訴人は、被控訴人総治から贈与を受けた(五)の土地を森銀蔵に賃貸してその賃料と前記被控訴人正男方の地代とを相殺し、さらに昭和三一年頃からは右土地を海野一男に賃貸してその賃料を直接森銀蔵に支払わせるなどして、前記合意に基づき被控訴人正男方の地代の支払を昭和四六年一月まで続けていた。ところが、その後被控訴人正男が森銀蔵と交渉して同被控訴人方の地代を直接支払うこととし、まもなく本訴を提起したため、控訴人は、右地代を支払うことができなくなり、昭和五三年一月二四日に昭和四七年一月から昭和五二年一二月までの(二)の土地の賃料として二一万六〇〇〇円を被控訴人正男に対し弁済供託し、さらに昭和五四年一月一一日にも昭和五三年分の賃料を供託した。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する原審証人森いその供述部分、原審における被控訴人総治本人の供述部分、原審(第一、二回)及び当審における被控訴人正男本人の供述部分は、いずれも前掲各証拠に照らし措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、控訴人は、被控訴人総治から(二)の土地を賃借したものであり、被控訴人正男は、被控訴人総治から(二)の土地の贈与を受けた後、右賃貸借契約を黙示的に承認し、これを承継したものと認めるのが相当である。そうすると、右賃貸借契約の終了につき何らの主張、立証がない以上、被控訴人正男の控訴人に対する(二)の土地の明渡請求は、理由がないものといわなければならない。

四  進んで控訴人の(三)の土地を買受けた旨の主張につき判断する。成立に争いのない乙第一七号証の表側部分、第二二号証の二、第二三号証の三の二、原審における被控訴人正男本人尋問の結果(第一回)により成立の認められる甲第七号証、原審及び当審証人竹下輝子の証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果(いずれも第一回)、原審(第一回)及び当審における被控訴人正男本人尋問の結果(一部)によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

1  昭和二八年頃、被控訴人正男方は、同被控訴人の妻琴が結核に罹患して療養していたため、経済的に困窮していた。同年一二月一二日右琴は、控訴人方を訪れ、控訴人に対し右の事情を話して(三)の土地外一筆の土地を買い取つてほしい旨懇請した。これに対し控訴人は、右土地がもともと竹下家の財産であつたことから、右申出に応じ、これを代金一万三〇〇〇円で買い受けることとした。そして、右琴において売渡証書(原審昭和四六年(ワ)第一五五号事件の乙第一号証)を作成してこれを控訴人に交付し、控訴人は右売買代金を右琴に支払つた。右売買契約の締結に当たつて、控訴人が右琴に対し被控訴人正男も右売買を承知しているか否かを質したところ、右琴は、被控訴人正男の指示で売却するものである旨答えた。

2  右琴は翌昭和二九年九月一四日死亡したが、被控訴人正男も結核に感染し、同被控訴人方では依然として経済的困窮が続いていた。そして、被控訴人正男は、同年一二月一日には(三)の土地と同様被控訴人総治から贈与を受けた土地一筆を杉山鉄蔵に売却し、昭和三〇年八月八日には控訴人から金二万円を借り受け、さらに昭和三二年四月二六日には被控訴人総治から贈与を受けた他の一筆の土地を田形兼二に売却した。その間、被控訴人正男は、結核の療養のため、昭和三〇年六月から昭和三一年一一月まで入院していた。

3  控訴人は、(三)の土地を買い受けた後、これにみかんを植えるなどして耕作を続けていたが、被控訴人正男は、昭和四四年頃まではこれに何らの異議も述べず、右土地の返還を請求することもなかつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する原審(第一回)及び当審における被控訴人正男本人の供述部分は、前掲各証拠に照らしにわかに措信することはできず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、控訴人は被控訴人正男の代理人琴から(三)の土地を買い受けたものということができる。そして、右琴は、他に特段の事情の認められない限り、被控訴人正男から代理権を授与されていたものと認めるのが相当であるところ、本件において右特段の事情を認めるに足りる証拠はない。そうすると、控訴人は、被控訴人正男から(三)の土地を買い受けたものであるから、被控訴人の控訴人に対する(三)の土地の明渡請求は、失当というべきである。

五  以上のとおりであるから、被控訴人らの本訴請求は、いずれも失当であり、棄却を免れず、控訴人の当審における反訴請求は、いずれも理由があり、これを認容すべきである。

よつて、右と結論を異にする原判決を取り消し、被控訴人らの請求をいずれも棄却し、控訴人の当審における反訴請求をいずれも認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺忠之 糟谷忠男 相良朋紀)

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